隣花苑の思い出

【さるきまわった時期 1990年代半ば頃】

私が入社してまもなく、まだデジカメも、インターネットも一般的ではなかった時代の話です。

(一応、この当時もメールのようなものはありました。電話線をモデムという機器に繋ぎ直して、”ピー、キャラキャラ”とFAXみたいな音がして接続して、しばらくすると、目で追えるくらいのスピードで文字が画面に現れていました。特に長文のメールは厳禁。(文字の)ダウンロードに時間がかかるし、電話料金も高くなるので。。。)

まだ駆け出しの、雑用担当だった私は、親会社から出張で来た若いドイツ人技術者を横浜の展示会に連れてゆき、ホテルまで送る仕事をおおせつかりました。

上司; ”昼は、展示会場に来ている営業に言えばイイから、夜は領収書を持ってきて、じゃ。ヨロシク”

会議が終わったら、雑用は若手に丸投げ〜。まだまだ昭和が色濃い頃です。しかし、今にして思えばこの頃の雑用(苦労や失敗)が色々役に立っているな。。と思います。

片言の英語を駆使して、なんとかパシフィコ横浜まで辿り着き、営業の先輩を見つけ出し、昼食の場所を尋ねると。。”そんな話聞いてねーよ、自分で探せば。今忙しいから。。”と、そっけない返事。営業殿も、自社のブースを担当しているので、得体の知れない若造の相手はしていられません。

初めての場所だし、周りをキョロキョロ見回しても、レストランのようなものは。。。。。”あった!” 

フードコートに入り、”たこ焼き”を振る舞うことに。 ドヤ顔の私に、ドイツ人の彼は、これは不思議な食べ物だと恐る恐る食べていましたが、たこ焼きには”タコ”が入っているからたこ焼きだ!ということを説明すると、2回ぐらい”本当にタコが入っているのか?”と聞かれたあと、彼の箸が止まってしまいました。

ヨーロッパでもタコは普通の食材と思っていたのですが、場所によっては食べないのか。。。残念。そのうち慣れてね。。。

展示会を一通り見学して、タクシーで三溪園に向かいました。

夕食を予約しているのは、三溪園(さんけいえん)の隣にある”隣花苑(りんかえん)”です。
(ちなみに、隣花苑は、2020年8月2日から、改修のため一旦閉店したようです。再開は未定ですが、また ”三溪そば” が食べられる日が来るとイイな〜)

食事の時間までは、三溪園で時間調整できるのが、魅力でした。

隣花苑は、5百年以上前の古民家を移築した建物を使っており、大きな土間から中に入ります。

入り口では、女将さんに優しく出迎えていただきました。 

キョロキョロしている日本が初めてのお客さんに、さらりと”500年くらい前にたてられたそうですよ”と言って、中居さんに案内されながら奥の部屋に進みます。 ”ここで、靴を脱いでね。。”と、ちらりとマウントとったりして。。”築○百年” だと、ヨーロッパの人にもひけをとらずにすみます。しかも、こちらは木造です。えっへん!

座布団に座り、庭を眺めながら、次々と運ばれてくる料理を楽しみました。

でも、椅子生活の彼はなかなか重心が安定しません。あぐらを教えたり、足を投げ出させてみたり、正座?何が起きるかわからないのでやめておきました。えっつ、女の子座りが一番安定する? う〜ん。。まっ、いいか。

そうこうしながら、一通り、和の創作料理が済んで、一息ついていると庭からいい風が吹き込んできます。あたりはもうだいぶ暗くなっていて静かです。

畳がそんなに珍しんだ。。 ならば、
”畳の醍醐味はこれだよ”と、ゴロンと寝転んで見せました。すると彼もゴロン。涼しい風を感じながらゆっくりしていると。。。ガラガラと襖が開いて女将さん登場。

若造2人は、ピョンと飛び起き、”もう、他のお客さんが帰っているみたいなのに私たちだけ長居してすみません”と、平謝り。

すると、女将さんは、”どちらから いらっしゃったんですか? 是非ゆっくりなさってださい。 もうしばらくすると三溪園の三重塔にライトアップが灯りますよ”と、変わらずの優しい口調で教えていただきました。

そうでした。ドイツからはるばるやってきた彼を楽しませることが目的でした。
それから、2人で縁側に腰掛けて、ライトアップされた山頂の三重塔をしばらく見上げていました。

ホテルに送って別れ際に”こんなに昼食と夕食のギャップが大きい経験ははじめてです”というコメントをいただきました。 次回日本に来た時は、たこ焼きと正座を一緒に練習しましょう(笑)。。。と心で思いつつ、”Thank you see you again !”。

隣花苑が再開したら、今度は、ぜひ家内と伺いたいと思っています。

                               以上

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