身近にいた 元バンカラ K先輩

”K先輩、 昔むかし、赤褌(ふんどし)で 走っていた
人たちがいましたよね。あれって、バンカラの名残ですか?”

”それ、寮生だったから俺も走った..”

”えっ? え〜… すると、先輩もバンカラだったんですね?”

”郊外の寮から街まで走るんですよね?”
”いや、途中、女子大の寮に寄ってパフォーマンスする”
”わざ わざ ですか? 真っ直ぐ走らないんですね〜”
”そうすると窓から、バケツの水をバシャーってかけられる
それで、”ウォッシャー!!”って気合を入れ直して街に向かう”

どうやら事前に女子大寮には○時に伺いますと連絡をして
あって、バケツになみなみと水を張って待っている
ということだそうです。
想像ですが、”◯学部◯年 好きな芸能人は◯さんであります” 
みたいな感じだったのかもしれません。

何事にも動じない頼りになるK先輩も定年を迎えられました。
会社のイベントでお見かけしたK先輩の美しい奥様は
赤褌パフォーマンスの賜物であったかどうかは聞き損ねました。。

私も学生の頃、このイベントは、
”またやってるな〜” という感じで見ていて、
沿道の人たちも”学生さんがんばって〜”とか
”かぜひくなよ〜” という 雰囲気でした。
街の人たちが ”学生さん” という存在を認めて
くれていて、将来の希望としておおらかにみて
いただいたのだと思います。

下の写真は、近代バンカラを始め多くの学生たちが通り過ぎた
大学近くの子飼商店街(こかいしょうてんがい)です。

ちなみに、商店街の入り口には日本で初めての
スクランブル交差点があります。


K先輩烈伝より 学生時代(1970年代)のアルバイト編

その昔、泊まり込みのい草農家のバイトが
あったそうです。
い草とは、畳表に使われる細長い草で、刈り取った
い草の泥を水洗いして、納屋の2階に放り上げる
バイトだそうです。

水で湿ったい草の束は、それはそれは重いそうです。

ですので、

毎晩、脱落者(逃げ出す者)続出だそうです。

それで、最後まで残るのはK先輩をはじめとする数名の猛者のみ。

農家のおじさんからは、
”最近の学生は、根性が足りん”
”で、やっぱり、君たち寮生が一番頼りになるねー!” といわれていたそうです。

以上は、会社のお昼休みに、健康のためK先輩と
近所を歩きながら(さるきながら)聞いた昔話を元に、
数十年ぶりに訪れた学生街の風景と重ね合わせて
私がイメージするバンカラの実像です。


地元 熊本で考えられているバンカラのイメージの一つは、
剛毅朴訥(ごうきぼくとつ)です。
これは、意志が強く毅然としており、飾り気がなく口数が少ないと
いう意味です。

質実剛健の気質をもち、誠実である。
質素であるが文化芸術にも思いを馳せる。
勉学もおろそかにしない。
いわゆる文武両道という人物像が、浮かび上がります。

では、学ラン、高下駄、マント、ボロボロの学帽という外見は、
漫画だけのイメージでしょうか?

K先輩のような近代バンカラの方は、あまりこのような
格好はしなかったそうです。

しかし、大きな記念同窓会が、大学で開催された時、
かなり歳を召された大先輩方が、まさに漫画の
バンカラさながらの格好で歩いておられるのを
見たことがあります。

高下駄で、一段と背が高く、黒ずくめに羽織ったマントは
シルエットを優雅にしていました。

今は、もういないのでしようか?
いえ、私は形を変えていろいろなところにいらっしゃる
と感じています。

強豪実業団野球部の応援団をしていてた親戚や、
主婦や子育てやPTA役員や旗持ちをしながら、
しっかり会社の仕事もこなしてくれている同僚など、
K先輩のような安心感があります。
私はこのような身近な方々にも、バンカラの先輩方に
共通するするかっこよさを感じます。                      

バンカラも一時代を築いた生き方の表現方法だったのだと思います。
近い将来、”えー! 先輩も昔、ガングロだったんですかー” と、
似たような光景が繰り広げられるかもしれません。

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